光ってるわい街が

散歩日記とそうでない日記

声にすると覚めるもの

『「話すほどでもないんだけど、』

 学年末の大事な合評だが全く集中できない。窓の向こうから猫の声がしたからだ。
 鳴き声につられて外に目をやるも猫の姿は無い。見えたのは普段通りの大学の風景と、発表者を見つめる友人たちや、よそ見をする自分の姿がうっすらと反射した窓だった。近くにいないのなら、と意識を猫から合評へと戻そうとするがまだ見ぬ猫のことが変に気になってしまい、すぐに人の声が脳に届かなくなった。そしてそこに座っているいるだけの頷きマシーンと化す。発表者には悪いが、猫の姿が見えるまで外を意識することにした。
 教室では先生が、「窓に作品を飾るのは注意したほうがいい。見てる人の意識が外に向いてしまうから」と話していて、もしかしなくても今自分のことを言われている?と焦った。事実そうでもある。

 そんなこんなでぼうっと待っていると、窓の下からひょいと声の主であろう黒猫が姿を現した。突然の近距離の登場に思わず心の中で「あ」と呟く。同時に三つ隣の椅子に座っていたクラスメイトも「あ」と呟いていた、声に出して。え?今意図せず声出ていたか?と感じたほど、同時の「あ」だった。
 あまりにも呟くタイミングが重なっていたので、驚いてクラスメイトを見ると窓の向こうの猫に釘付けである。おいあんた声出てるし堂々と見過ぎだよ、さすがに合評に集中していないのがバレるぞ、と心配するもみんな全然気にかけていないようである。そうだな猫のこと気にしてないと今の「あ」はなんてことないクラスメイトの「あ」でしかないのだし、そもそもみんな集中して友人の発表を聞いている。何も知らない黒猫はとてとて、と窓の向こうを歩いている。猫はかわいいな。

 そうかこいつも人のプレゼンを聞かずに猫が出てくるのをぼけ~と待っていたのか、自分と同じように猫の突然の登場にちょっとびっくりしたんだな、と考えると勝手に親近感が湧く。もちろん向こうは自分も猫を気にかけていたことなど知りもしない。次に話すとき、距離感を間違えてしまいそうである。一年間ほとんど話したことがなかった人だけど気が合うんじゃないかな、と考えていたらプレゼン終わりの拍手で意識を引き戻された。

 このような、小さいけれど何か惹かれた出来事を、“話すほどでもないような出来事”と呼んでいる。自分が“良い”と思って話しても相手の反応がめちゃくちゃ薄かったという体験から来ている。……



  大学二年生の後期火曜日5限、文章力を鍛える講義をとっていた。上の文章は、その講義で提出した「自分が今制作している・制作予定の作品について書く」といった課題の自分の回答の一部である。
 自分はとある芸術大学に通い、底辺芸大生ライフをそれなりに楽しんでいる。ただ底辺とはいえ芸大生という肩書を持つ以上、何かしら制作する。なので、この課題はいわゆる”芸大らしい”課題だったもしれない。

 作品について書く、というのはありそうで経験のないことだった。今までやってきたのは、「作品の説明をする」ことだったからである。自由度の高い課題だったので、自分は”作品そのもの”ではなく、”自分の作品のプレゼンが終わった後の出来事” を書いた。なんの制作の予定もなかったので、過去の作品に頼り、なんとかごまかせないかと考えた次第である。ちなみに当時の作品は文章にある、話すほどでもないような出来事(意訳:しょうもなすぎる出来事)を話さず伝えるにはどんな手段があるのだろう?と試みた映像作品だった。

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 この講義は提出された文章を読んで、意見を出し合うといった講義内容だったため、コロナ禍で九割の講義がオンラインの中、最後まで対面だった。意見を出し合うといっても受講人数がせいぜい十五人くらいだが。
 その十五人の中にやたら文章がうまく、コメントが辛口の学生が一人いた。文芸コースに在籍している彼は、目が隠れるほどの前髪が印象的だった。「評論にこの書き方は相応しくないのでは」「いまいち僕には情景が見えない」などこの言われようである。とほほ
 最終課題が上記の「自分が今制作している・制作予定の作品について」だった。自分が書いたのは課題に沿っていなかったので、文章が読まれた後さすがに何をつっこまれるかドギマギしていた。数人の褒め言葉と取れるような興味がないとも取れるような、当たり障りない意見をありがたく頂戴し、いつものメカクレ辛口野郎の厳しいド正論の意見がぶつけられた。こちらもありがたく頂戴し、ひ〜やっぱむずいわ文章と痛感したのだった。

 ただ、何事も最終回というのは特別なものみたいで、メカクレ辛口野郎が最後に「”終わり”から作品を書くのは悪くないと思う」という早口コメントをもらったのだ。実はメカクレ辛口野郎が褒めることは珍しいわけではない(良いものは良いと言える人だった)のだが、これ、めちゃくちゃ嬉しかったのだ。合評という作品のゴールとも言える場面から書き始めたのは、あの文章の、課題に沿ってない一番の要素でありつつも一番のこだわりポイントだったからだ。最後の講義が終わり教室を出て、人気のない大学を歩きながら、最後に”わかってくれた”彼のことを思い出すと急になんともいえない寂しさを感じたのだった。

 彼はマスクの下でにやけていた自分の顔を今でも知らないだろう。それどころかこの日の、このコメントのことも忘れていたりするのだろう。これは寂しいことでも悲しいことかもしれないが、おそらく当たり前で自然なことである。
 だが、あの日の教室でもらった言葉は事実残り続けている。その言葉で自分はこんな、自分の中でしまっておきたいような大事な大事な出来事を、話すほどでもない出来事を作品にして記憶したいとのだと改めて思えたのだ。卒業間近に急に「あの時はありがとうございました…」と本人には身に覚えのないお礼のお手紙でも送って、困惑させてやりたいものである。

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」