光ってるわい街が

散歩日記とそうでない日記

忍耐力が無く、2週間の労働で今年の記憶が消えそう

 今年の振り返りをしようと考えるも、今月の中旬からほぼ一年ぶりにバイトを始め日々が爆速で過ぎていくからか、パッと思い出す出来事がない。悲しきかな、労働の怠さは思考力を著しく低下させる。
 それはさておき、何かあったかなあと一年を順に振り返るも、まず文章を書くハードルが下がった、次に日常的に近所を歩くようになった、最後に大学での研究内容が確立されそうである、ぐらいの出来事しかこの一年で振り返ることがなく、文字にするとやけにしょうもない。でもまあ、本人からするとそれなりにちゃんとした一年だったかな、と思えた。

 ひとつめ、文章を書くハードルが下がったことは特に詳しく書くこともない。毎週課題で一つ文章を書く修行のような授業があり、今までよりハードルが下がったなあ、くらいの話である。このブログも一応始めたので普段から文章を書くぞという意志があった。結局全然書いてないけれど。



 次に日常的に近所を歩くようになった。これが実はかなり大きな出来事で、自分の2021年をレペゼンしている(?)。
 誰しも「きれいだな」「いいな」とはっきりと、またはぼんやりと思う対象が何かしらあるかと思う。それは朝のカフェとか虹とか物の多い机とか、本当に人それぞれだろうが、自分はその対象が夕陽に染まる街だった。おそらく同じような人もいるだろうし、気付いていなくても街を見た瞬間反射的に「いいな」に近い感覚を抱いたことのある人もいると思っている。いいですよね〜街、夕陽。

 自分はこう自覚してから明確に夕方に出歩くことが多くなった。特に春先は適温すぎたので毎日のように歩いていた。夕陽に染まる近所を眺めることだけを目的とし、たまにコンビニコーヒーを買ってうろついていた。そんな感じでゆっくり歩いていると、もちろん色んなものが目にうつる。休日に玄関先の手入れをする人たち、田んぼがアスファルトになる過程、細い道、あのマンションの最上階の人は一時間くらい日の入りが遅いのではないか、そういえばこの辺中学のあいつ住んでたな、など書ききれないたくさんのことを近所、もとい地元で認識した。これがまあ〜〜〜〜〜〜楽しい。もともと路上観察というか歩くのは好きだったが、知らない街を歩くのがほとんどだった。近所を歩いてこんなに楽しかったのは、きっと何回も歩くから気付く事象があるからで、同時にまだ出会っていないことも延々とあるのだと感じた。なんかそれがめちゃくちゃいいなと感じたし、どうすれば街のことをもっと知れるのだろうかとも思った。そしてこの思いのままゼミでの制作を街に関することにしようかなと漠然と決めた。
 街を知るための手段として、ひとつ友人と話をしながら街を歩き地図に落とし込む、ということを実践した。4回生になるまでに、きちんと文章で振り返ろうと思う。

 はい、昨日も今日もバイトで明日もバイトで何を書いているのかよく分からなくなってきたので、この辺りで泣く泣く振り返りを終えることに。弱い。これちゃんと振り返れているのか?今年が1000文字と少しでまとめられているけれど、いいのか?いいです。広告出したくないし、バイト代貯めて来年もpro会員を継続したいと思います、でも来年はさすがにもうちょっと書いた方がいいな。知らないやつの1年の振り返りを最後まで読んでくださった方、もしいらしたらありがとうございました、良いお年を!

声にすると覚めるもの

『「話すほどでもないんだけど、』

 学年末の大事な合評だが全く集中できない。窓の向こうから猫の声がしたからだ。
 鳴き声につられて外に目をやるも猫の姿は無い。見えたのは普段通りの大学の風景と、発表者を見つめる友人たちや、よそ見をする自分の姿がうっすらと反射した窓だった。近くにいないのなら、と意識を猫から合評へと戻そうとするがまだ見ぬ猫のことが変に気になってしまい、すぐに人の声が脳に届かなくなった。そしてそこに座っているいるだけの頷きマシーンと化す。発表者には悪いが、猫の姿が見えるまで外を意識することにした。
 教室では先生が、「窓に作品を飾るのは注意したほうがいい。見てる人の意識が外に向いてしまうから」と話していて、もしかしなくても今自分のことを言われている?と焦った。事実そうでもある。

 そんなこんなでぼうっと待っていると、窓の下からひょいと声の主であろう黒猫が姿を現した。突然の近距離の登場に思わず心の中で「あ」と呟く。同時に三つ隣の椅子に座っていたクラスメイトも「あ」と呟いていた、声に出して。え?今意図せず声出ていたか?と感じたほど、同時の「あ」だった。
 あまりにも呟くタイミングが重なっていたので、驚いてクラスメイトを見ると窓の向こうの猫に釘付けである。おいあんた声出てるし堂々と見過ぎだよ、さすがに合評に集中していないのがバレるぞ、と心配するもみんな全然気にかけていないようである。そうだな猫のこと気にしてないと今の「あ」はなんてことないクラスメイトの「あ」でしかないのだし、そもそもみんな集中して友人の発表を聞いている。何も知らない黒猫はとてとて、と窓の向こうを歩いている。猫はかわいいな。

 そうかこいつも人のプレゼンを聞かずに猫が出てくるのをぼけ~と待っていたのか、自分と同じように猫の突然の登場にちょっとびっくりしたんだな、と考えると勝手に親近感が湧く。もちろん向こうは自分も猫を気にかけていたことなど知りもしない。次に話すとき、距離感を間違えてしまいそうである。一年間ほとんど話したことがなかった人だけど気が合うんじゃないかな、と考えていたらプレゼン終わりの拍手で意識を引き戻された。

 このような、小さいけれど何か惹かれた出来事を、“話すほどでもないような出来事”と呼んでいる。自分が“良い”と思って話しても相手の反応がめちゃくちゃ薄かったという体験から来ている。……



  大学二年生の後期火曜日5限、文章力を鍛える講義をとっていた。上の文章は、その講義で提出した「自分が今制作している・制作予定の作品について書く」といった課題の自分の回答の一部である。
 自分はとある芸術大学に通い、底辺芸大生ライフをそれなりに楽しんでいる。ただ底辺とはいえ芸大生という肩書を持つ以上、何かしら制作する。なので、この課題はいわゆる”芸大らしい”課題だったもしれない。

 作品について書く、というのはありそうで経験のないことだった。今までやってきたのは、「作品の説明をする」ことだったからである。自由度の高い課題だったので、自分は”作品そのもの”ではなく、”自分の作品のプレゼンが終わった後の出来事” を書いた。なんの制作の予定もなかったので、過去の作品に頼り、なんとかごまかせないかと考えた次第である。ちなみに当時の作品は文章にある、話すほどでもないような出来事(意訳:しょうもなすぎる出来事)を話さず伝えるにはどんな手段があるのだろう?と試みた映像作品だった。

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 この講義は提出された文章を読んで、意見を出し合うといった講義内容だったため、コロナ禍で九割の講義がオンラインの中、最後まで対面だった。意見を出し合うといっても受講人数がせいぜい十五人くらいだが。
 その十五人の中にやたら文章がうまく、コメントが辛口の学生が一人いた。文芸コースに在籍している彼は、目が隠れるほどの前髪が印象的だった。「評論にこの書き方は相応しくないのでは」「いまいち僕には情景が見えない」などこの言われようである。とほほ
 最終課題が上記の「自分が今制作している・制作予定の作品について」だった。自分が書いたのは課題に沿っていなかったので、文章が読まれた後さすがに何をつっこまれるかドギマギしていた。数人の褒め言葉と取れるような興味がないとも取れるような、当たり障りない意見をありがたく頂戴し、いつものメカクレ辛口野郎の厳しいド正論の意見がぶつけられた。こちらもありがたく頂戴し、ひ〜やっぱむずいわ文章と痛感したのだった。

 ただ、何事も最終回というのは特別なものみたいで、メカクレ辛口野郎が最後に「”終わり”から作品を書くのは悪くないと思う」という早口コメントをもらったのだ。実はメカクレ辛口野郎が褒めることは珍しいわけではない(良いものは良いと言える人だった)のだが、これ、めちゃくちゃ嬉しかったのだ。合評という作品のゴールとも言える場面から書き始めたのは、あの文章の、課題に沿ってない一番の要素でありつつも一番のこだわりポイントだったからだ。最後の講義が終わり教室を出て、人気のない大学を歩きながら、最後に”わかってくれた”彼のことを思い出すと急になんともいえない寂しさを感じたのだった。

 彼はマスクの下でにやけていた自分の顔を今でも知らないだろう。それどころかこの日の、このコメントのことも忘れていたりするのだろう。これは寂しいことでも悲しいことかもしれないが、おそらく当たり前で自然なことである。
 だが、あの日の教室でもらった言葉は事実残り続けている。その言葉で自分はこんな、自分の中でしまっておきたいような大事な大事な出来事を、話すほどでもない出来事を作品にして記憶したいとのだと改めて思えたのだ。卒業間近に急に「あの時はありがとうございました…」と本人には身に覚えのないお礼のお手紙でも送って、困惑させてやりたいものである。

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 

 

おまえのまちを教えろよ

こんにちは。
暑い。自分は散歩が好きだが暑すぎて外にでる気が起きないので、最近だと夕方涼しくなってからよくぶらついたりする。同じような人もきっといるだろう。

さて、そんな自分が書くこの記事では「普段歩く道を誰かに紹介してもらうことで、いつもと違う歩き方をしてみよう」をお届け。
要はいつもとちょっと違う歩き方で散歩しようぜ、みたいな。
自分は悲しきかな毎回一人散歩なので、誰か他の人と一緒に歩くと違う楽しみ方ができるんじゃないかなあと思ったのだ。

紹介、と言うのは「この道であった思い出や出来事を教えてほしい」の意。
まちを歩く一人として、各々どのようなことが今まであったのかを知りたいわよ、だから内容はどれだけ個人的でしょうもなくて全然良い、むしろそれを教えろ。

超当たり前だが、みんなそれぞれ違うこと考えながら違うイベントに出会いながら過ごしている訳だから、同じまちの中でも出会ったものは違うに決まってる。


そんな上のような流れから、今回は一人散歩を卒業し、妹と地元の友人それぞれと歩いてきた。この記事では妹と歩いた内容を一部記録したいと思う。

妹と歩いた

学校終わりの妹と合流。乗り気の自分と明らかにめんどくさそうな妹。
さあ気にせず適当に場所を決めて歩きます。

1.おばあさんが転けていて心配になった坂

坂

最初のご紹介、踏切近くの坂。

らどうみようが普通の坂だが、ある時この坂で転けたおばあさんがいたらしい。それが軽い感じではなく、血が出ていて救急車も来たぐらいの大変さだったそう。この様子が記憶に残っていて、以降ここを通るときにたまに思い出し、気をつけようと思ってるようだった。
なんせ踏切が目の前、真後ろが車道ですからね、気をつけるに越したことはない。

おばあさんは後日歩いているのを見かけたので、とりあえず大丈夫だったらしい、よかった。

2.カエルに見えるしきり

これはなんと言ったらいいのかわからないが、道にあるしきりみたいなもの。
妹はこのしきりが、カエルに見えているとのこと。あー、確かに見えなくも、ない?いや、自分は今でもいまいち見えていない。
これを見ると、「あー、カエルだなー」と思うらしい。それにしても雑草の元気がよろしい。

3.前は猫もいた空き

もう空き家になって4.5年は経つ敷地。
家の人が猫(確かアメショ)と住んでいて、よくこの塀にその子が座っていた。自分も何回か見かけたが、当時ひまを極めていた妹はしょっちゅう会いに行って相手をしてもらっていたそう。
懐かしいね。

4.友だちとの分かれ道

見にくい写真で申し訳ない、がここはいわゆる十字路だ。
帰り道、特に仲良くはないけど顔は知ってるぐらいの知り合いとばったり同じになって、一緒に歩いたときの分かれ道が、ここらしい。話すことは天気のことぐらいだったそうだ。
困るよな、そういう無視もできないぐらいの知り合いとあった時。

5.これでも整備された道

またしても見にくい写真で申し訳ない。
妹が紹介してくれたのはこの道。見た目はあまり整ってはいないが、道の凸凹がいつの間にかきれいになったらしい。
妹が幼稚園〜小学生のときはここ(色が薄いところ)が溝のようになっていて、その溝の上をたどって歩くと優しいおじいさんが日向ぼっこをよくしている駐車場につくらしい。どういうことかいまいちわからないのだが、ほぼ人の敷地を歩いていたということらしい。アウトかよ。

そのおじいさんと話すのが楽しかったみたいで、何度かお母さんも連れて行って午後のおしゃべり会が開かれていたそう。なんかすごいな。


終わりに

五箇所しか載せてないが、他もまあ大体こんな調子で終わった。
歩いてみると案外楽しく、乗り気でなかった妹も最後には「え〜懐かし〜」と感傷的になっていた(たぶん)ので誘ってよかったな、と思った。
そして何よりそれぞれのまちがある、ということが確認できてよかった。

特に妹の紹介した場所が人との思い出中心だったことから、あ〜やっぱ自分とは違うなと思った。各々が何を大事に思っているか、何が好きかが見方にとても影響しているんだなあと改めて思うなど。
同じまちに住んでいても、それぞれのまちがあって、人の数だけまちがある、ということですか…そう思うとなんかやばいな。

と、いうところでこの記事は終わろうと。いつか友だちに紹介してもらったまちも記録しようと思うので、もし見かけたらよろしくです。ではありがとうございました。

(653文字)

こんばんは
はてなproになっても全然書こうとしないので、自分でも困ってしまいました。

最近歯の神経保護(死にかけの神経をどうにか復活させる治療)をしてもらいまして、神経が回復するか気が気でなりません。だいぶ虫歯が進んでいたらしく、回復の確率は半々とのことで祈るしかないです、神経に。

 

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きれいですね〜
今大学3回生なのですが、いよいよ就活準備だインターンだという話が多くなってきて、なんかな〜やだな〜〜〜やだやだ社会に消費されないような就活がしたい

3.4年合同のゼミで、2週間に一度自分の制作(研究)の話をしなくてはならないのですが、それが結構難しい。は〜発表終わった〜とぼけ〜〜〜っとしてたらもう次の週になって、え、明日発表やが?を繰り返している。
今まで課題とかでも提出日が近くなってから詰めるようにして仕上げていたから、なかなか身が入らない。と、思っていたらちょっと掴めてきた。頑張ろ〜


これから読んだ本の感想ぐらいここで書こうかな、人に自分の研究について話すことに抵抗があるのは、まだ詰めれてないということのほかに、外に出す整理できていないからだと思うんだよな。
散歩はしてるのでまた散歩記録とか、本読んで思ったこととか、研究の整理とか、Twitterじゃおさまらない文字数の雑記を書く、うん、だってはてなproだから!!書かないと絶対もったいないよ!!!!!!

でも今日はもう眠いし、神経も育ってほしいから就寝(寝たら育つのか?)
もし見かけたらまたお願いします。

最後にこの前作ったあまりにもかわいいプリンをくらえ

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晩ご飯の事しか考えられなくなるとき

散歩日記(1480字)

5月4日火曜日みどりの日。
誰もが遠出をしにくかったこのゴールデンウィーク、それは電源を落としたテレビから観光業の悲鳴が聞こえてきそうなほど。本来、大学生である自分も大型連休に狂喜乱舞しているはずだったが、遠隔授業になり休みのような毎日を普段から送っていたためか、あまりゴールデンウィークのありがたみを感じられなかったのである。
もちろん授業が無いと時間がそこそこできるので、いつもより長くTwitterをしたり、難しそうな本に挑戦してみたり、気が向けば散歩に行くなどした。

自分は、夕日に照らされる街が森羅万象の何よりも好きなので、天気がいい夕暮れ時に散歩に行く事が多い。いつも「日が沈む前に出なきゃ!!!!」と、どたばたと着替えている。この日もそんな調子で散歩に出た。



歩いた 

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いいね

歩いていると早速いい感じのものが。自然と文明は入れ子状態になっているという話を知識のある友だちから聞いたがこういう事だろうか。多分違うんだろうな〜
歩いていると、時期らしくすずらんが咲いている家も多い。植木鉢が等間隔に並んでいた家の植物たちはなかなか見応えがあった。その直後に地面から直接生えて咲いているすずらんを見つけ、かわいさの根底にある力強さを感じるなど。

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川の使い方が上手だなあと思った、ゴミ箱の収まり具合もきれい。
ただ、この鉄板みたいなやつの上に乗るの絶対怖い。ここに立ったまま何か買い、その場で飲み干している人がいたら、おっ度胸あるなと思う。もちろん自販機設置者もそんな図太い人を見越してのゴミ箱であろう。


いよいよ日が沈みそうなので、ぼちぼちと帰ることにする。
自分の住んでいる街はいわゆるベッドタウンだ。でもそのお隣の県は"THE大都会"のような都市ではないため、街には心地よい静かさが漂っている。この静けさがとてもいい。電車の音が遠くまで届くし、鳥の声や、都市では埋もれてしまいそうなものたちがちゃんと見えている。

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最高。
この日は普段あまり行かない住宅地を通れたのでたいへん満足した。



家が近くなってきた頃、どこからか魚の匂いがしてきた。誰もが経験した事があるぐらいの夕方あるある、だ。
この人の家の夜ご飯の匂い、自分の場合だと圧倒的に焼き魚の匂いに出くわすことが多い。魚の匂いがよく届くのだろうか。たまたまかもしれないがカレーでさえもあまり匂いがしたことがない。たまたま自分の近所の人が魚好きなだけかもしれないが、人によって全然出くわす匂いは違うのだろうか。もしかして高級住宅地を通るとおいしそうなお肉の匂いがしてくるのだろうか。

などと考えて歩いていたら焼き魚の匂いが強くなってきた。やはり魚の匂いは気付きやすいのかね、と理屈ゼロの仮説ができはじめる。それにしてもお腹が空いてくるなあと歩いていると、なんと七輪で魚を焼いているではないか、それも庭で。
中学校の体操服ジャージを着たお姉ちゃんがうちわで火を調節しながら魚の面倒を見ている。部屋で食卓につく両親とはしゃいでいる弟の様子が遠目に見えた。

なあるほど道理で今日はこんなに焼き魚の匂いが強いわけで。
これはいいゴールデンウィークを見た。七輪だったり魚だったりと、おうちバーベキューにしないあたり何かこだわりを感じさせていい。お姉ちゃんが熱心に焼いている姿も素敵であった。
この後、ゴールデンウィークらしいこと少しはすればよかったなあと、後悔し始めたのは言うまでもない。そして無性に七輪が欲しくなったのも、晩ご飯が焼き魚であれと願ったのも、そういう時は大抵希望通りにはならないのだ、ということも、もちろん言うまでもない。